第一回 オープンフォーラムin郡山 開催報告

手応えありました!

8月27日(日) 第一回 オープンフォーラムin郡山 「郡山 好き?きらい?」の開催報告です。 
はじめに、来てくださった方の感想を少し紹介します。

「いろんな声が聞けて、僕の中で何かが始まった感じがする。今日この場に参加できてとてもよかった。」

「自分の生まれ育った町の歴史に、生まれて初めて興味が湧いた。もっと郡山のことが知りたくなった。今日ここにこれてよかった。」


「こんな話し合いの場がほしかった」

 

「これでお終いにするのではなく、次もまたやってほしい」

 

といった声をいただくことができました。

準備してきた仲間たち自身、大事なことを話し合うことができた喜びをかみしめています。

お集まりくださった方たちに心からの感謝の気持ちを伝えさせてください。

 

当日の様子

 

会場となったがくと館には全部で17名があつまりました。

 

ほとんどが郡山の方でしたが、須賀川や東京からきてくださった(少年とお母さま)方もいました。

 

参加者の年齢は、中学1年から、88歳のお年寄りまで、年齢層もバラエティに富み、女性と男性の比率は半々でした。

 

郡山で生まれ育った人、転勤して郡山に住んでいる人、郡山に他の土地から移住してきた人、今回のために郡山に来た人が、ほぼ同数というバランスでした。

オープンフォーラムは、同じ意見の人たちだけで話し合う場でなく、意見の異なる人たちもあつまって、対話していく場です。 

最初に郡山が「好き」な意見と、「嫌い」な意見の代表の方が、 ゲストスピーカーとして、それぞれ5分ほどで語ることからはじまります。

好きな方からは「郡山は便利ですごしやすいから好き」という意見や「安積疎水という国家予算の3分の1をかけた巨大事業が遂行されるなど、フロンティア精神にあふれたところが好き」という意見が出されました。


嫌いな方
からは「その巨大事業の陰に、開拓者の悲劇が隠れている。多くの開拓者(8割)が、豪商に借金の形に土地をとられ、夜逃げ同然で逃げていった。巨大事業成功のためにひどいことも行われた。郡山は商人の街であり、事業を守るためなら何をしてもいいというような、自分勝手な精神風土があり、嫌い」という意見が出されました。

みんなの声

このゲストスピーカーの意見を聞いて、 17名の参加者からはいろんな意見が出されました。


全員で輪になって座る対話をスタイルだったので、最初のうちは、とまどっておられる方もいましたが、スタイルになじんでくると、皆さんからいろんな意見が出されるようになりました。

 

みなさんの声を紹介すると転勤族の方からは、


「私は排他的なところが嫌いだった」


「お友達なる人は、転勤族や外からお嫁に来た人ばかり。コミュニティに差ができているのかなと感じた。地元は地元で固まり、よそから来た人はよそから来た人で固まるところがある」

 

「ホッとする仲間は、よそから来た人が多いと気づいた」

という意見があがりました。

 

転勤してきて郡山にきて一番びっくりしたことは

 

 「郡山は飲食店の入れ替わりが激しい」

 

 「郡山の人は新しいもの大好き。熱しやすく冷めやすい」

 

 「駅前の新しくできたお店にもスッゴイ行列ができている」

 

 「確かに須賀川の人は、新しいお店に並んでまで食べようとしない。郡山の人は並んででもたべるかも」

 

という意見がだされ、 その話題でとても盛り上がりました。

 

郡山は何故、飲食店の入れかわりが激しいのか?


何故新しいものが好きなのか?との問いに、次々声があがり、

 

「転勤族多くて、人の出入りが激しく、学校でも学期ごとに出入りがある(毎年4~5人、転出していた)。新しいものを受け入れることに慣れている」

 

「郡山の人はアンテナが高い。新しいお店できると、みんなワーッと行って「私行ってきたよ」と友達に言いたいんだと思う」

 

 「お店を育てようという気質がないんじゃないか」

 

 「会津には『ならぬことはならぬ』という精神風土があり人物を育てるが、郡山は『何やっても自由』という精神風土で、なかなか人物が育たない。郡山生まれの政治家や著名人はあまりいない。店や街を育てないという精神風土も、そこからきているのじゃないか。」

 

と、いろんな意見が出されました。

経営コンサルタントの仕事をしている方からは、経済の視点から、こんなお話もありました。

 

・豪商と開拓者の関係が、ファンドやベンチャー企業との関係にすごい似ているなと思った。

 

・ベンチャーは大半がもうからない。担保に店を入れてとられる。とられた人から見ると、ハゲタカファンドだったり、悪徳金融機関なんだけれども、資金を貸してもらったおかげで成功した人にとっては、貸してくれた人は恩人になる。

 

・郡山はベンチャー特区だったのかなって感じた。開拓者がベンチャーで、昔ながらの豪商や地主がファンド。

 

・この図式が成り立っているとしたら、ベンチャー特区の性格は、基本的には社会性が高いんじゃなくて、一旗揚げてやろうとなる。自我やエゴが、いい意味でエネルギーになる。


・そういうスピリットが歴史の中でできあがってきたんだなと感じた。

 

・それが残っているとしたら、新しい物好きだし、したたかだし、すぐ飽きるし。飽きるっていうのは、戦略性豊かな人はすぐ飽きてゆく。

 

・経営コンサルタントの視点でグローバルな視点から郡山を見ると、郡山は市場としては「負け組」に入ってしまう。

 

・何故かと言うと、経済市場が安定し成熟しきっているから。その中で、べンチャーのスピリッツだけが生き残っているとなると、どんどん店はいれ変わってしまうのかもしれない。

その話を聞いて、『経済の視点』は参加者に郡山を別な角度からみる視座を与えたようでした。
郡山という商業の街にとって経済からの見方をこの先深めていく必要を感じました。

 

この視点を受けて、別の方たちからこんな意見が出されました。

 

「郡山市で広告代理店をやっていた方が、同じことを言っていた。福島市は県庁があり大学があり、そこから仕事をとる形で仕事している。郡山は開拓者精神で仕事していた。しかし、3.11以降助成金が降りてくるようになり、いい意味でのフロンティアスピリットがなくなってきていると言っていた」

もやもやから、郡山の街の本質へ

 このあたりの話は、もやもやするものが残っているようです。

何か、終わっていないことがいくつもあるような空気がただよいはじめました。

多様な視点が交差しいているようです。

たとえば、経済、感情、思考、肯定的な観方、否定的な見方がうずまいています。

.11後の聞かれていない声が場に伝えたいことがあるのに、声にならない感じといえば良いのでしょうか。


ここで浮かびあがってきたので、もやもやしていて中がみえなくなっている空気の中には、

「元からその土地にいる人」と、

「後からその土地に入ってきた人」との話が、

いろんなバリエーションで繰り返されているという物語があることへの気づきでした。

そのときどきにおこっていることは、元からいる人と新しくきた人との出会いなのです。

郡山は、この出会いの繰り返しが起こっている街であり、これが郡山の交響楽なのではないでしょうか?

郡山という街が話すとしたら…

想像力をはばたかせれば、 郡山という街の声が聞こえてきます。

 

 「わたし(郡山)の歴史の光と影、

 わたしのなかに棲む人々の思考や行動、

 ほかの場所からやってきて、わたしを通って流れていく人たちや、

 わたしにとどまる人たちのおしゃべりから、

 わたしの様々な姿を探りみんなと一緒に少しずつ、知ることが少し出来ました。
ちょっと満足しています♪」


と言っているように思いました。

参加してくれた方々の多様な声から、今まで見えてこなかった姿を見せてくれた郡山でした。

 

参加者の感想

 郡山の声を聞くと参加者の中からもそれに応える声がおこるでしょう。

 まだまだ話しは尽きませんでしたが、 あっという間に3時間がすぎ、 最後に皆さんから、こんな振り返りが寄せられました。

 

「お年寄りの人たちが、フロンティアスピリットで力を合わせて、今の郡山を作ってきた。それを、私たち若い世代は継続してゆけるのか?自分自身を振り返ってみると、力を合わせたり、団結するっているところが弱い気がする」

 

(東京から来た人) 「ここで皆さんが話していることの本質は、郡山だけで起こっていることではなく、日本全国いろんなところで起こっている気がする。でもここにくるまでそれに気づいていなかった。こうやっていろんな声を聞き、それに気づくことの大切さを今日は感じた」

 

「いろんな声が聞けて、僕の中で何かが始まった感じがする。今日この場に参加できてとてもよかった。」

 

「自分の生まれ育った町の歴史に、生まれて初めて興味が湧いた。もっと郡山のことが知りたくなった。今日ここにこれてよかった。」

 

「郡山に対してモヤモヤした気持ちが、こうやって話すことで、少しわかり、すがすがしい気持ちになれた」

 

「その街が、好きか?嫌いか?って、信頼できる人間関係があるかないかによるところが大きい気がする、どんな人たちと出会い、どんな豊かな人間関係があるかで、この街に住んでてよかったと思えるんじゃないかとあらためて思った」

 

「移住者が、移り住んだ土地が自分の血肉になるターニングポイントってあるような気がして、私にとっては今日がそうだったかもしれない。この気持ちをもう少し、深く確かめてみたいと思った」

 

「私はカモを育てているが、皆さんの話を聞いて、円形になり、無心になって話し合う姿が、カモに見えた。カモは素直で、攻撃的でなく、最も弱い存在。素直で欲がない。外敵が来ると円形の陣を組む。攻撃されれば水に潜る。時にはネギもしょってくる(大笑)。素晴らしい一日でした」

 

「自分は郡山人なんだってつくづく再確認できた。グローバルな視点で見ると郡山は負け組に入っていると言われ、「ふざけんな!負けてられっか!」とフロンティアスピィットが騒いだ。負けないために、みんなから繰り返し話が出てきていた「店を育てる気質がないとか、人を育てる気質がない」という郡山の特徴とどう向き合っていくかが、一つのポイントになるのかなと思った。大事なことに気づくことができた一日だった」

 

 追伸

最後に、ゲストスピーカーを務めて下さっさった佐久間光好さんから、市民防災活動のお知らせがありましたので、ご紹介します。

佐久間光好

「郡山の災害防災安全を市民自ら考えようと、現在、郡山市民130人が集まって、地域の防災安全を守る方法を考えている。われはと思う方はご参加ください。」